飛騨春慶の歴史



飛騨春慶は、渋い漆の感触の中に淡黄金色を放つ透明感のある塗りが
特徴であり、木材の美しい木目を生かす漆器として、長い伝統の中で発達
してきた独特のシンプルなデザインが多くの人に愛されています。
 
飛騨春慶塗りは、江戸時代初期慶長年間(1596〜1615年)高山城主金森
可重の時代に大工の棟梁だった高橋喜左衛門が、ある日打ち割ったサワ
ラの割目の美しさに心打たれ、それで盆を作り可重の子重近に献上しまし
た。
それを御用塗師の成田三右衛門が苦心の末、木地の自然美を活かして

透漆で塗り上げたところ、この漆の色が、陶工加藤四郎左衛門景正の名
陶『飛春慶』の茶壺の黄釉に似ていたことから、城主可重が『春慶』と命名
したのが始まりと伝えられています。

金森家は代々茶道に造詣が深く、重近は後に入道し宗和と号し、京都に
於いて茶道「宗和流」の祖となるとともに、飛騨春慶塗の茶道具も茶人に
贈られたり、将軍に献上されるなど次第に名を高め、貴族工芸品としても
てはやされました。 

江戸時代中期に飛騨が天領になると、歴代の郡代が地場産業として発展に力を入れ、飛騨以外にも移出できるようになり、幕末には問屋も出現し、明治、大正となる頃には春慶塗も大衆、庶民化していきました。特に明治時代には、問屋が中心となって飛騨春慶の振興を図り、アメリカセントルイスの万国博覧会に出品し銀賞を受賞するなど数多くの博覧会で入賞、その知名度を高めました。 

日常的に使用されるようになったのは戦後であり、冠婚葬祭の引き出物や
観光土産等として広く利用されています。昭和50年に通産省の伝統的工
芸品として指定され、現在に至っています。



製作工程
使用法

 
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